陸地から離れた小さな島にそびえ立つ修道院の島、モン・サン・ミッシェル。
突然視界に現れる姿はとても神秘的で、まるで孤島に建つお城のようです。
大天使ミカエルの命令により8世紀に本格的な工事が始まり、何世紀にも渡って繰り返された難工事と増改築を経て、
現在のそびえ立つ城塞のような外観になったそうです。
百年戦争中は英仏海峡に浮かぶ要塞の役割を果たし、ナポレオン1世の時代には牢獄としても使われていたそうです。
バスの中から遠方(10km先)に見える姿は、日本で言えば江ノ島のような感じでした。
あっもうすぐ到着だ!というところでバスは、郊外の駐車場に入ります。
浮かれ過ぎて忘れていましたが、モン・サン・ミッシェルで有名なフワフワなオムレツを食べることになっていました。
オムレツは徹底的にホイップした卵をフライパンで焼いた薄味の卵って感じです。 美味しかったですよ。
モン・サン・ミッシェルの名物オムレツは、ラ・メール・プーラールおばさんが、巡礼者に振舞ったのが始まりと言われています。
メインは、ボイルした鶏肉に少々のレタス、デザートは、アイスクリームだったかな・・・少なすぎないかい。
毎日、こんな感じの軽食で旅行中ベルトの穴が足りなくなって1つベルトに穴を開けちゃいました。(締める方)
メタボの気になる人は、フランスに旅行するのがいいと思います。思いっきり食事に対しての嫌みですけど・・・
ちなみにフルコースメニューには、おかわりはありません。 (必要なら追加注文するしかありませんよ。)
11世紀には、ロマネスク様式の教会が建てられ、13世紀には、ゴシック様式の建築法により上方へと増築されていき
何世紀にも及ぶ増改築により現在の様に内部が複雑な構造になっていきました。
19世紀になりこの建築法の素晴らしさが再発見されて歴史的建造物として認識される様になり
”モンサンミシェルとその湾”が世界遺産として登録されています。
モン・サン・ミッシェルに到着すると内部は、巣鴨か浅草か状態です。
ヨーロッパ中の人々が訪れていますが、大半は爺さん婆さんのツアーの様です。
狭い階段の途中で爺さんが突然、懐かしい婆さんに逢ったのか、スキンシップ後に右頬と左頬にキスして談笑を始めます。
一人目が終わると、隣の婆ちゃんと同じ行程を繰り返し、更に更にと挨拶を繰り返していきます。
いい加減にしろ!!って言いたいのにフランス語で文句が出てこない。
周りの爺ちゃん達は、苦笑いして見てるだけ・・・冗談じゃないよ!!
ここでの自由時間は、30分しかないのに、のんびり待ってる時間は、な・い・ん・で・す・け・怒!!
英仏百年戦争の際、城砦となっていたモン・サン・ミッシェルですが、海に囲まれ早い潮流と潮の満干による水位の差にイギリス軍は、
攻めあぐねて、ついに一度も陥落することが無かったそうです。
モン・サン・ミッシェルのあるサン・マロ湾は、ヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、1.5メートル以上あるそうです。
モン・サン・ミッシェルの観光を終えて、ホテルにチェックインします。
食事まで随分時間があるので、モン・サン・ミッシェルまでの途中に放牧された羊がいたので、羊を入れた写真を撮影にいきました。
近くには、添乗員さんが"高いから買わない方がいいですよ"って言った、お土産を売っているスーパーがあります。
後から考えると買わなくてもいい程のスーパーで、買い物ができるほど食事までの時間があるのに、
あんなに広い城内の買い物時間が、30分しかなかったのは納得できません。
まだ、下の方の店をゆっくり見て廻りたかったのに駆け足状態で見なければ買い物もできない時間配分が納得できませんでした。
あの爺さんのスキンシップに邪魔されなければ、もっと良いお土産を買うことができたかもしれないのに・・・
羊の撮影から食事が終わる頃には、風雨が序々に強くなってきました。
モン・サン・ミッシェルまでは、ホテルから2kmの道のり、傘を差して横殴りの雨にツアーメンバーは、何としてもライトアップされた
暗闇の要塞を見るべく添乗員さんの先導で、街灯1つ無い道をを延々と歩き続けます。
到着する頃には、掲載写真の様なモン・サン・ミッシェルが眼前に広がります。
城壁内の店は、既に閉店後で昼間の雑踏は何処にもありません。
持参してきた傘が使用不可能になった人達がいる中で必死に撮影した成果をご覧あれ!
(next画像をクリックすると次に移動します)